スポーツにおいて、パフォーマンスを安定させるには、感情表現を抑えて淡々とプレイするのが望ましい。という考え方がある。あまり感情を表に出さずにプレイする方が良い、というのだ。これは確かに一理ある。例えばゴルフ。ミスをしてもクヨクヨしない方が良い。理由は、ネガティブな感情を引きずると次のショットに悪影響が出るからだ。これは理解しやすいかも知れない。ところが、上手くいった時も大喜びはしない方が良い、とも言われている。気持ちが高揚し過ぎると、これもまたミスを誘発する原因になってしまうのだ。いつもと違う精神状態だと、「いつも通り」のショットが出来なくなる。つまり、ネガティブにもポジティブにも大きく振れ過ぎないで、ニュートラルな状態にメンタルを落ち着かせておくことが大事、ということ。実際ゴルフの試合を観ても、こういうメンタルのコントロールが上手い選手は成績が安定している。
これはゴルフに限らず、他のスポーツにも当てはまる。とりわけ、「静」と「動」を繰り返す競技では重要性が高まる。例えばサッカーやバスケは試合中ほぼ「動」の状態だが、野球やテニスは試合の中で「静」の状態と「動」の状態が繰り返しおとずれる。こういう「静」と「動」のスポーツは、メンタルのコントロールの重要性が高い。
カーリングという競技もまた、「静」と「動」を繰り返すメンタルスポーツである。なので、感情表現は抑えて淡々とプレイするのが望ましい競技のはずなのだが…。五輪代表チーム、ロコ・ソラーレの吉田知那美選手は違う。彼女は非常に豊かな感情表現をする。ミスをした時は子供の様に泣きじゃくるし、上手くいった時は満面の笑みで喜びを爆発させる。彼女のことを評して「ロコ・ソラーレの元気印」と言ったりするが、吉田知那美はただのムードメーカー的存在の選手ではない。チーム内では司令塔の藤澤五月を補佐する副キャプテンの様な立場で、技術と知略に長けた選手である。いつも感情表現を爆発させながら、正確なショットを決めまくっている選手なのだ。
彼女のような選手を見ていると、「感情表現を抑えて淡々と」の有効性に疑問が出てくる。果たして「感情表現を抑える」必要は本当にあるのか?おそらく結論は「気持ちの切り替えが出来るなら、感情表現の有無はどっちでも良い」という事なんだろう。感情を自分の内面だけで処理するポーカーフェイスの選手も、感情表現を常に表に出す吉田知那美のような選手も、それを気持ちを切り替える手段としてやっている、ということ。結局はやり方の違いの話であって、選手の個性の話。なので、スポーツにおける感情表現は是が非か?というのは不毛な議論だと言える。
感情表現の有無はパフォーマンスの出来とは直接関係は無い。ならば、感情を出したい人は出したら良い。悔しい時は泣き、嬉しい時は喜ぶ。それで良いと思う。また、観客の立場からすると、感情表現の豊かな選手は感情移入しやすく、自然と応援したくなってしまう。自然とプレイしている姿に惹き付けられる。これもまたスポーツ観戦の醍醐味だ。
スポーツは勝ち負けを競う。観客は、勝つか負けるかにフォーカスする。だが、それだけではもったいないと思う。「選手に感情移入する」という観戦の仕方も是非やってみて欲しい。そうするとアスリートの見方が変わる。「表現者」や「哲学者」という形容が相応しく思えてきたりもする。
AIの進化で無くなる職業、という話題があるけれど、アスリートは無くならないだろう。理由は、人間が競技するから。人間が競技を通じて喜怒哀楽を表現する姿に、人々は魅了されるからだ。人間じゃなければ出来ない、人間有りき、の職業なのだ。だから、人間を感動させるアスリートは無くならない。
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